富嶽三十六景を差し替えました

町会のホームページのトップ、スクロールする富嶽三十六景の画像を差し替えました。

当町会のホームページを昨年9月に立ち上げて1年強が経ちました。
少しづつ修正しながら、町のこと、ご高齢者、子どもさんのこと、防犯・防災など気が付く範囲で、毎週のように記事をアップし公開してきました。
1年以上が経過しましたのでトップページの富嶽三十六景のスクロールする画像を編集者の好みで差し替えました。
特に新千円札の絵柄には「神奈川沖浪裏」が採用されたので、いいタイミングかと思います。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏


世界で最も有名な日本絵画です。静と動、遠と近、人と自然、海と空の対比が表現されています。画面の波は、北斎が長い画業で極めた描写です。欧州ではグレート・ウェーブと名付けられました。
「神奈川沖」とは、東海道の宿場町・神奈川(横浜市神奈川区)の沖合を意味することから、この絵は現在の東京湾上から見た景色を描いたものということになります。
波間に見えるのは、房総や伊豆から江戸へと鮮魚を運ぶ押送船(おしおくりぶね)で、大波に翻弄されているかのようです。
力強く立ち上がる大波に対峙するのは、端正な姿でたたずむ富士山であり、静と動の対比によって雄大な景色を表現しています。
冨嶽三十六景シリーズ全46図だけではなく、北斎の全画業においても代表作とされています。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏/ 制作年:1830-1832年/ 所蔵:メトロポリタン美術館/ 情報源・撮影者:メトロポリタン美術館

冨嶽三十六景 尾州不二見原


愛知県名古屋市中区富士見町
現在の名古屋市中区富士見町付近です。富嶽三十六景の中では富士山から最も遠い場所です。
北斎は幾何学構図を好んで使いました。
本作品は丸い桶の中に三角の富士山と四角の田を配しています。
大樽の輪の中に小さな三角形の富士が見えます。樽職人は富士に背を向け一心不乱に樽づくりをしています。
ここ不二見原は現在の名古屋市中区富士見町のあたりです。高台にありますが、視界を阻まれて実際には富士は見えません。
丸い桶をフレームとして田畑の向こうに遠くの富士をのぞんでいます。真ん丸と三角形の対比の面白さを描いています。
なお、富士見原は、遊郭や武家の別宅が存在する名勝地として知られていました。
丸い桶をフレームとして田畑の向こうに遠くの富士をのぞんでいます。
丸と三角形の対比の面白さを描いています。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 尾州不二見原/ 制作年:1830-1833/ 所蔵:シカゴ美術館/ 情報源・撮影者:シカゴ美術館

冨嶽三十六景 茨城県潮来市牛掘


茨城県潮来(いたこ)市近くから描いた富士です。シリーズの中で最も東の場所です。
苫舟(とまぶね)という屋根付きの舟で、舟の半分をクローズアップした大胆な構図が印象的です。
牛堀(茨城県潮来市)は、霞ケ浦南端の水郷です。当時は、鹿島や銚子などへ向かう航路として多くの船が行き交っていました。
巨大な舟の舳先が対角線に置かれています。船の先端には、屋根で覆われた部屋があります。乗員が寝起きしているようです。
これから船のうえで日々を送る人々の一日が今始まるのでしょうか。
朝飯の仕度で、コメのとぎ汁を船外に流しています。その音に驚いて白鷺が飛び立っていきます。静けさの中に音を感じさせます。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 常州牛堀/ 制作年:1830-1833/ 所蔵:シカゴ美術館/ 情報源・撮影者:シカゴ美術館

冨嶽三十六景 東都浅草本願寺


東京都台東区西浅草一丁目
東都浅草本願寺は現在の東本願寺です。本堂の巨大な屋根を瓦職人が補修しています。
左にそびえるのは井戸掘り櫓(やぐら)です。右画面の巨大な三角屋根に対し、左には垂直な櫓を配してバランスを取っています。
東本願寺は天正19年(1591)、光瑞寺として建立され、明暦3年(1657)に起きた明暦の大火以後、浅草に移転し浅草御坊と称しました。
画面近景に浅草の東本願寺本堂の大屋根、遠景に小さく富士。屋根の大きさを、屋根の上の職人たちを小さく描いて、強調しています。
屋根と富士で三角形の相似が遠近の対比と重なっています。たこがのんびりと舞い踊っています。
対角線上に配置された両者の緊張を凧がほぐしているようです。北斎得意の構図です。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 東都浅草本願寺/ 制作年:1830-1833/ 所蔵:シカゴ美術館/ 情報源・撮影者:シカゴ美術館

冨嶽三十六景 上総ノ海路


千葉県安房郡鋸南町
千葉県木更津沖を行く弁財船(べざいせん)を描きました。弁財船は江戸に物資を運ぶ大型帆船です。
水平線や湾曲した帆、垂直な帆柱、帆綱の三角形、と至る所に幾何学構図が埋め込まれています。
江戸時代、房総から江戸へは、輸送船によって様々な生活物資?(コメ、酒、醤油など)が運ばれていました。帆を張った2隻の船が江戸へと向かっているのでしょうか。
帆と帆綱に間から小さく富士が見えます。大きな船と小さな富士の構図です。
船の窓から人物の顔や背が見えます。水平線は弧を描いています。
右側の陸地は三浦半島です。北斎自身も実際に運搬船に乗り、房総方面へ旅をしたといいます。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 上総ノ海路/ 制作年:1830-1833/ 所蔵:シカゴ美術館/ 情報源・撮影者:シカゴ美術館

冨嶽三十六景 登戸浦


千葉市中央区・登戸神社
登戸浦(のぶとうら)は千葉市内にある地名です。現在は埋め立てられて内陸にありますが、江戸時代は海に面していました。遠浅の海では子供が遊び、潮干狩りをしている人がいます。
鳥居の間から富士を望むという北斎の構図です。
大小二つの鳥居は、本来はもっと離れています。浅瀬で汐干狩りを楽しむ人々。おしゃべりする女、追っかけこで遊ぶ子どもたち、貝でいっぱいになった桶を得意げに運ぶ漁師、彼らの楽し気なひと時、健やかで穏やかな時間の流れを感じます。
登戸浦は、江戸築地に荷揚場を持ち、年貢米や海産物を房総半島から江戸に海上輸送する拠点の一つでした。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 登戸浦/ 制作年:1830-1833/ 所蔵:シカゴ美術館/ 情報源・撮影者:シカゴ美術館

冨嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見


(おんまやがしよりりょうごくばしのせきようをみる)
東京都墨田区本所一丁目
御厩川岸(おんまやがし)は、台東区蔵前と対岸の本所を結ぶ渡しがありました。
現在は厩橋(うまやばし)が架かっています。遠景の富士や家並みは輪郭線がなく、夕暮れのシルエットに浮かぶように描かれています。
暮れなずむ隅田川・御厩河岸の渡し場。(台東区蔵前二丁目辺りの隅田川岸に幕府の御厩があったので、この辺りを御厩河岸といいました。)
渡し船の手前に、美しい藍の線で大きな荒波が描かれています。対岸の両国橋のたもとに富士の姿、沈む夕陽の逆光でシルエットとして表現、日が沈んで次第に色が失われていく時間が表現されています。
渡し船に乗っている商売人などの人々は、この美しい光景をほとんど見ることなく押し黙り、一日の終わりを表しています。渡し船の船頭の禿頭を回転軸に、舟の孤と両国橋の孤が対象となっています。船頭の視線の先には、富士が見えます。

作者:葛飾北斎(1760-1849)/ タイトル:冨嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見/ 制作年:1830-1833/ 所蔵:シカゴ美術館/ 情報源・撮影者:シカゴ美術館