【深川神明宮】日帰りバスツアー、12/8です

国府台泉養寺参詣とひたちなか酒列磯前神社正式参拝

皆さまには日々ご健勝にてご活躍のこととお慶び申し上げます。日頃より当神社にご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
今回、深川の地に縁の深い深川八郎右衛門の旧跡を訪ね参拝して、ひたちなかの酒列磯前神社を正式参拝する日帰りバスツアーです。奮ってご参加ください。

日時:  12月8日(日) 7:50神明宮前集合、8:00出発
会費:  12,000円
申込み: 申込書に会費を添えて社務所へ申込ください。

締切日: 令和6年11月15日(金

【行程】8:00深川神明宮出発     錦糸町I.C⇒京葉市川⇒国府台・善養寺参詣⇒松戸I.C⇒(外環道・常磐道・北関東道)⇒ひたちなかI.C⇒酒列磯前神社・正式参拝⇒昼食・ひたちなか⇒那珂湊海産物市場⇒水戸大洗I.C⇒北関東道・常磐道・首都高速⇒駒形I.C⇒深川神明宮17:55着

【豆知識】泉養寺について

泉養寺は東京都江東区の深川を開拓した深川八郎右衛門を開基とする天台宗の寺院です。慶長元年(1596年)八郎右衛門の実兄・秀順法印によって深川元町に開創されました。
医王山無量院と号しますが、医王山は大医王仏、つまり薬師如来を安置していることを意味し、無量院は無量寿如来、つまり阿弥陀如来を安置していることを意味しています。かつて深川の地にあった際は、本堂に阿弥陀三尊、薬師堂に薬師如来が安置されていました。
元禄六年(1693年)に深川猿江に寺地を拝領して移転した際には、境内には立派な蓮池を有し、牡丹蓮と呼ばれる重弁のめずらしい蓮を見に文人墨客をはじめ多くの人々が訪れ、「猿江の蓮寺」として江戸名所図会にも記されておりました。
しかし文政元年(1818年)に浅草の火災で本堂と薬師堂を消失、また安静二年(1855年)、慶応元年(1865年)の大洪水、大正六年(1917年)の洪水と数々の罹災を受け、大正十二年(1923年)の関東大震災による火災によってすべてが灰燼となってしまいました。昭和二年、二十一世・廣謙和尚が現在の地を有縁の地と定め、移転を発願したことにより泉養寺の新しい歴史が始まりました。
度重なる災害のため当初の尊像は消失してしまいましたが、ご本尊である阿弥陀如来は上野寛永寺より勧請され、薬師如来は別棟の瑠璃殿及び本堂に安置されています。

泉養寺は深川の地を開拓した深川八郎右衛門の実の兄・秀順によって開山されました。
本堂裏手の墓地には深川家累代の墓碑があり、毎年11月3日には慰霊法要より始まった施餓鬼供養法会が厳修されています。

東京・深川の地を開拓した深川八郎右衛門
 深川八郎右衛門は、慶長年間(1596‐1615)に大坂(諸説あり)から移住して深川の地を開拓した人です。かつて葦の生い茂る三角州で、ぬかるみのような土壌でとても人が住めるような場所ではなかった土地を、八郎右衛門をはじめとする一族が開墾に着手。苦労の末に農地として開拓し、やがて村としての形を作り上げました。
ある時、鷹狩りでその地を訪れた徳川家康公に土地の名を尋ねられた際、「まだ住む人が少なく、地名もない」と八郎右衛門が答えると、家康公は姓の「深川」から地名を深川村にするよう命じたと「新編武蔵風土記稿」に記されています。
開拓の功績によって、八郎右衛門は深川村の名主に任じられました。

江戸の繁栄と深川村の発展
 江戸が城下町として急に栄えるようになり、深川村は米や野菜類の供給地として発展し、村の範囲も拡がっていきました。現在の江東区の新大橋、常盤、高橋、森下、猿江の各町全域、墨田区の千歳、立川、菊川へと開拓が進み、さらに城東方面にも八郎右衛門新田が開拓され、東砂、北砂の一部にもその地名が残されています。
江戸時代初期の農業の発展に力を尽くした八郎右衛門は、1661年に没し、菩提寺として自らが開基した当院で葬られました。法名を「道誉照洗居士(どうよしょうせんこじ)」と称します。


※深川氏が開拓した地は、小名木川の北岸一帯(1)芭蕉庵古跡地(2)泉養寺開創地(3)猿江泉養寺(4)五本松 (「本所深川絵図」安政2年)

江戸の繁栄と深川村の発展—–深川の地と人々を守り続けた深川家
 初代・八郎右衛門没後も、深川一族は代々深川二十七カ町の名主を務めてきました。
ところが宝暦7年(1757)、七代目・深川八郎右衛門の時に、深川在方組合の中で不正事件が発生し、いざこざが起きて裁判沙汰となったのです。
そのことは町奉行の知るところとなり、八郎右衛門が組合員一同の罪を一身に引き受けて入牢。やがて病により出所した後、死去したため、奉行所は家名断絶の裁決を下し、一族は離散。深川家は七代目をもって絶えることとなりました。

【豆知識】ひたちなか酒列磯前神社について

御創建:斉衡3年(西暦856年・平安時代)

御祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)
配祀神:大名持命(おおなもちのみこと)

 主祭神の少彦名命は日本神話において始源の神である造化三神の一柱。高皇産霊神の指の間からこぼれ落ちた小さな神で、海の向こうからガガイモという芋の皮の船に乗り、小鳥の皮を着て現れたと伝わります。
大国主命(大名持命の別名)と共に国造りという神話の中で力を併せ心を一つにして日本国土を統治する国土経営をなされました。
国造りにおいて『古事記』・『日本書紀』・『風土記』などの神話では大名持命と少彦名命の二神が併せて登場することから、当社に限らずこの二神の組み合わせで祀る神社は多いようです。

ジョイフル本田ニューポートひたちなか店内の宝くじ売り場ジョイフル本田チャンスセンターでの、年末ジャンボ発売日に多くの方々が当選しますようにと、当神社神職と巫女が売場で祈願祭を執行しています。
高額当選された方が当神社に縁起の良い亀石像を奉納されました。神社にお参りして亀石像に触れると御利益があると評判になり、大安日には大にぎわいになっています。